地域まるごといきいきブログ

歴史紀行 (連載第3回)武田光和伝説 その② ~祇園の投石地蔵伝説~

 歴史に埋もれた豪傑、安芸武田家第10代当主 武田光和には地元にも数々の言い伝えが残っています。光和は傑出した大力で、武田山に登る途中に50~60人掛りでやっと動かせるほどの大岩があって人々が困っていたのを、力試しにと1人で軽々と谷底に落としてしまったと言います。また祇園の安芸山本バス停手前の旧国道沿いに「いぼ地蔵」と呼ばれる古い祠がありますが、ここは別名「投石地蔵」と言って、光和が武田山から投げた石を祀ったものだと言い伝えられています。ちなみにこの祠のそばにある古い松の葉のトゲでイボをつつくと、イボが落ちると古来から有名です。

 さらにある時は、里の古い文殊堂に化け物が出て人を化かしていると聞き退治に行くと、夜中に琵琶を弾く盲目の年寄りが来たので、さては物の怪の類いかと絞め殺したところ、翌朝見ると子牛ほどの大きな古狸であった…等々、光和伝説は枚挙にいとまがありません。
 そんな豪傑、武田光和も病には勝てず、天文9年(1540年)33歳の若さで無念の内に病死。光和が死んだ時には黒雲が空にたなびき、雲の中に鎧のすれ合う音、刀のかち合う音などがして、その後の銀山は奇怪なことばかり起こる大魔所となり、光和は「最後の一念により成仏せず修羅道に入って魔王となり、夜な夜な銀山を行く人々を脅かしていた」(陰徳太平記)と言われます。
 次回は「黄金の茶釜伝説」 まだまだ数ある武田山にまつわる伝説を紹介していきますのでご期待下さい!(つづく)
                 (郷土作家 つかさまこと)