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歴史紀行 第15回~毛利元就編 その①

 大河ドラマ「麒麟がくる」の明智光秀ブームにつられてつい話題が県外に飛び出してしまいましたが、話をまた安芸の国広島に戻しましょう。1541年(天文10年)、共立病院南西にそびえる武田山の銀山城を拠点とした武田氏を滅ぼしたのが、かの中国地方の覇者、毛利元就でした。毛利氏は鎌倉幕府の重鎮、大江広元を祖とし、もとは相模国(神奈川県)に住んでいましたが、鎌倉時代末期に安芸国高田吉田荘に移って来て吉田郡山城に居を構えてこの地を統治しました。当初は小さな勢力でしたが、戦国中期に希代の策略家 毛利元就を輩出。兄・興元の急死により27歳で家督を継ぐと徐々に実力を発揮し始めます。初陣で安芸国守護代で中国秦の時代の項羽にも並び称された豪勇、銀山城主・武田元繁(武田光和の父)を破ると(有田合戦)、持ち前の策略、調略、諜報能力を駆使して少しずつ勢力を拡大。中でも1540年(天文9年)当時中国地方の2大勢力で鳥取・月山富田城を拠点とした山陰の雄、尼子氏3万の大軍を3000の小勢で破った「吉田郡山城の戦い」と、1555年(弘治元年)58歳の時、もう一つの中国の雄、周防(山口)大内氏を乗っ取った陶(すえ)氏を厳島におびき寄せて夜半奇襲し撃退した「厳島合戦」で名実ともに中国地方の覇者となりました。「1本では折れる矢も3本束ねると折れない。兄弟で力を合わせるように」と長男・隆元、次男・吉川元春、三男・小早川隆景に諭した「三矢の訓」はあまりにも有名です。詳しくは次回また!       (つづく)
                    (郷土作家 つかさまこと)

郡山城址